生きる価値
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作成日時 : 2008/11/21 07:46
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生きてるだけで価値のある人間なんていないと思っている。生きる価値のない人間は、確かにここに存在する。自分の人生に不満があって、こんな人生は生きる価値がないと思っている。存在するだけでいい人間など、いるはずはないと。しかし、そんなことを考えて鬱々として暮らしていることが、はたして精神衛生上いいことなのかと言われれば、いいわきゃ〜ない!だから、図々しくも、そんなことは考えず、いつもなんとなくにこにこ明るく生きているほうが、精神的に健康なのではないだろうか。生真面目に生きようとした。一人前の大人として生きているみなさんの手前、申し訳ないと、卑屈なほど自分を小さくして生きてきた。しかし12年そうしてきたが、なんら得るところはなかった。これからは、少しでも明るく、たとえ生産的な人生を送れないとしても、いつもなんとなく明るく微笑みつつ生きられる、穏やかな人間でありたい、と思う。同じ何の役にもたたない社会の寄生虫ならば、せめて辛気臭くなく、ひねくれ坊主でいたくないのだ。人生半ばを過ぎた今、本当に心からそう思えた。こんな自分でも、生きていて欲しいのだと母は泣く。一生愚痴を言い続けるのか?そんな子供をみていると、この子の人生は、いったいなんだったのかと、死んでも死にきれないほど悲し〜い気持ちになるそうだ。親の介護は、私の両肩に現実としてのしかかっている。近い将来、私は彼女を憎むほど、子供のまま介護生活をするのだけはごめんだ。せめて快く彼女と暮らしていきたいと思う。そのための心の体力をつけるためにも、何もできないオイラでも、明るく健康的な毎日を送れるよう、心がけたいものだ。やさぐれて、甘えるのも親が元気でいるという認識の甘さからだ。意外と親は早く老いている。オイラの予想に反して、急激に。
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